<Artist Interview : vol.2>
Ryo Shimizu 清水 玲 | Something about a room not having a floor

22 May 2018

常用漢字の筆画を間引くことで別の文字に置き換える換字の作品『altering letters』で知られる清水玲。
清水氏は「空気」が生まれる要因や過程に関心をもち、主に文字を用いて制作を行ってきたアーティスト。
国内外でのフィールドワークやリサーチをもとに、建築・映像・文字・音声などを用いて空間とその背景との関係性に着目したインスタレーションに取り組んでいる。

新緑美しい五月。晴れ渡る空と青い海を臨む『ヒロ画廊伊豆大川』にて行われている清水玲氏の個展を訪れた。

作家活動10年を迎えた同氏のこれまでの歩みは今どんな姿を描いているのだろう。
建築家からアーティストへ。その転身の裏側。
清水氏がアート作品に込める想いについて伺った。

清水氏=清水(敬称略)kaokoma=K 

K:清水さんはもともと建築家だったんですよね。
なぜ建築家からアーティストへ?アートを始めるきっかけは何かあったんでしょうか?

清水:もともと建築に関心があったのは、幼い頃から建設現場、特に住宅の現場を見るのが好きだったからなんです。
迷路のような基礎だけ状態や上棟後の骨組みだけの躯体など、未完成な状態が好きだったんですね。
でも工事が完成に近づくにつれてその魅力は少しずつ失っていく。幼いながらに何故だろうと疑問を抱いていたことを覚えています。

大学で建築を学び、卒業して建築に携わるようになってからもやはりその疑問は常に感じていました。
完成する前の何とも掴みどころのない感じ、可能性を可能性のまま保持するにはどうしたらよいのか-
そんなことを考えるようになったんです。

<a straight line is but a tensed curve | ネオン管/サイズ可変/2018>

K:なるほど。可能性を可能性のまま、っていい言葉ですね。
なんとも掴みどころのない感じ、というのはまさに空気のことですよね。
何か骨組みや土台があることで、何かそれを手がかりにして空気そのものの存在を感じさせる。
そのなんとも心もとない状態というか。形がないものに対する好奇心といいますか。
それが源泉なのですね。

清水:そうですね。それから作家になるきっかけになったのはもうひとつあって、2008年に横浜トリエンナーレのボランティアに参加したことです。
単純に国際美術展の運営側の様子を垣間見たくて応募したのですが、自分が担当していたのは教育プログラムという、
鑑賞者に作品を説明する、いわゆるガイドツアーを行う部署でした。
その時の教育プログラムの主任の方は元々森美術館でガイドボランティアをされていた方で、
2008年の横トリのガイドツアーでは“対話型鑑賞”という方法を採っていました。

“対話型鑑賞”は、アメリア・アレナスが第一人者とされていますが、
作品の解釈や知識を鑑賞者に一方的に提供するような解説を行なうことをせず、鑑賞者が作品を観た時の感想を重視し、
想像力を喚起しながら参加者同士のコミュニケーションを促す
、というものです。
2ヶ月間、対話型鑑賞を通して作品と接することで、自分の作品や作家に対する考えが大きく変わりました。
僕は元々アートが好きだったし、よく美術館やギャラリーにも足を運んではいましたが、
それまで作品や作家がそれほど社会と関わりのあるものだと思っていなかったんです。
造形や色彩に目がいっていたからかもしれません。

2008年の横トリの作品は、なんていうか初めて美術展に足を運ぶ方にとっては「難解」とされるものが多かったんですが、
そういう作品群と鑑賞者との対話を通して接していくうちに、社会性のようなものを感じるようになり、ふと思ったんです。

そういうことなら自分にもできるかも、と。
そしたらたまたま丁度その時に、同じ教育プログラムに所属していたボランティア仲間でグループ展をやろうという話になり、清水さんもぜひと誘われて。
最初は自分なんて作家じゃないし作品なんて作ったことないし無理ですよと断っていたのですが参加することになって。

(左)<alterning letters “TORA TORA TORA” | キャンバスにインクジェットプリント、マットPP加工/1455×1455/2009>
(右)<altering letters “SAKURA SAKURA SAKURA” | キャンバスにインクジェットプリント、マットPP加工/1455×1455/2009>

はじめて作品を作ったのがこの「TORA TORA TORA」「SAKURA SAKURA SAKURA」
その当時はグラフィックデザインを中心とした仕事をやっていたこともあり、タイポグラフィ的な作品ですが。ここから今に繋がっていくわけです。

K:これが最初の作品なんですね!なるほど。確かにグラフィック寄りな印象です。
漢字のように見えて漢字じゃないし、読もうと思えば英語としても読める。実際観客の皆さんもなぜか読んでますよね笑。
何ででしょう。その読めちゃうということ自体も日本人が何か適応力を持っているということの証しなのでしょうか。
歴史や文化も感じさせて面白いですね。

清水:そうですね。
その当時からどこか直感的に、日米の関係や、大陸から伝わってきた漢字が変容してきたこと、日本という国への以前からモヤモヤとした感情があったように思います。よく「空気」を読むといいますが、自分達の内側の問題だけでなく、外側の要因も大きいのではないかなと感じていたんだと思います。作品タイトルも当時は「CN」「JP」「US」を繋げて「CNJPUS TEXT」としていました。いかにもデザインやっている人が考えそうなタイトルですが(笑)

その後、公募展等で作品が入選するようになり、作品を展示する機会も増えていくうちに少しずつ変化して行きます。ある時から間引いた筆画を床に落とすようになったんです。SICFに出展したときがそうです。


<SICFでの展示風景>

ちょうどその頃、自分の立ち位置や今後の進むべき方向をその時の自分なりに考えたいと思い、AITのアーティストコースに通いました。
そこでの出会いも貴重な経験でした。そこで知り合った方が声をかけてくれて十和田市現代美術館でのプロジェクトに招聘されことになります。

<十和田市現代美術館でのプロジェクト | CNJPUS TEXT w 12,600 × h 4,500 mm/ 壁と床にカッティングシート/2011>

K:2008年に作家活動をスタートしたということは…今年ちょうど10年目ですね。どうですか?

清水:そうですね。実は十和田の後に少しスランプに入るんです。
自分の作品を作品として作ることに対する違和感を感じ、十和田市現代美術館のプロジェクト以降、作品が作れなくなるんです。
作品を作品として制作し、展覧会で自分の作品として展示することがなんていうか気持ち悪くなってしまった。

K:どうしてそうなってしまったんですかね‥?

清水:多分ある意味“まじめに”作っていたからかなと思います。
作ることが楽しい時期を過ぎて、作ることの意味、それを展覧会に出す意味について色々と考えるようになり、考えれば考えるほど作れなくなってしまったんです。
十和田が終わった1ヶ月後くらいのちょうどその時期に震災がありました。
その時は都内に住んでいたのですが、テレビに映る被災地の映像や近所のコンビニやスーパーの棚から商品がなくなってしまう状況などを目の当たりにして、
自分、一個人の無力さについて考えるようになりました。
アートで元気に、みたいなことはとてもじゃないけど考えられなかった。
それもひとつの可能性としてはあるだろうけれど、少なくともそれは自分が取り組む仕事ではないなと思ったんです。
そんなことから一旦「文字」から離れるようになり、「風」を観察することから始めたんです。
今回の展示にも出している2チャンネルの映像作品『まにまに』(2013年)は、
その時期から様々な場所で撮影した風に関する映像がふたつのモニター間で会話しているような構成をした作品です。

勝新太郎の『座頭市』に「落ち葉は風を恨まない」というセリフが出てくるシーンがあるのですが、
その「落ち葉は風を恨まない」という言葉から着想を得て制作した作品です。
一個人の無力さ、受け入れざるをえない現実とどのように建設的に向き合っていけるかみたいなことを考えながら撮影・編集していました。
そのあたりから少しずつスランプを抜け出せるようになってきて。


<まにまに | 2チャンネルHDビデオ、サウンド/19分25秒/2013>

ちょうどその頃から、福島での土湯アラフドアートアニュアルや静岡県富士市での富士の山ビエンナーレなど地方での芸術祭に参加することになり、
空き家や民家での展示する機会が増え、地域の場所性や歴史のリサーチをベースに空間をつくっていくようになります。
その空間をつくっていく手法として、柱、床、梁、屋根や階段などの主要構造部、壁や小屋組、土台など構造耐力上主要な部分を抜く、
穴をあける、あるいは仮設的な構造物を挿入しつつそこにリサーチに関連したテキストや映像、ファウンドオブジェクトなどを配置していくということを試みていました。

その時に気付くんです。建築から壁や柱、床を抜くことと、漢字から筆画を抜くことが似ていて入れ子の関係になるんじゃないかと。

そこに風を通すことで鑑賞者は、ある種の「空気を見る」「空気を読む」体験をする。
あのタイミングでこういったプロジェクトに参加することができたのはとてもよかったと思います。

K:確かに、清水さんの作品の文字って英語とも、漢字とも読める。実際観客の皆さんも読んでますよね。
一見難解なように見えてロジックを理解したらどなたでも何となく読めちゃう。
そうゆうのも「空気を読む」というのと重なるのかな、と思ったり。

清水:特に日本は敗戦とその後の占領時期を経ていて、それは思っている以上に今の日本の「空気」みたいなものへの影響が大きいんじゃないかと思っています。
今回のビニールチューブとファンを使ったインスタレーション『altering letters』では、
ヘレン・ミアーズの『アメリカの鏡・日本』から引用したテキストを用いて構成しています。

10年前に初めてつくった作品とどこか一回りして繋がってきたかなという実感があります。
10年経ってようやく「ああ、自分はこうゆうことを探求していく作家なんだな」というのが見えてきました。

K:また、観客の皆さんはすごく楽しそうですね。みなさん地元の方ですよね。作品もいくつか既に購入されるようになったと聞きましたが。

清水:はい、本当に嬉しいです。
実は僕は鑑賞者が僕の作品を作った時の考えや迷い、決断などをたどっていけるような、作品との対話のきっかけになるようなレイヤーというか仕掛けを忍ばせるようにしています。
老若男女関係なくその人なりに楽しむことができるような配慮というか仕掛けというか。
自然光や外の風景などを取り込むこともその仕掛けのひとつですね。作品を観た時の天候や時間帯でもまた見え方が変わります。
これは建築をやっていたことが影響しているのかもしれませんね。


(左)<Mt.Fuji “一旦緩急アレバ義勇公二奉シ” | 木パネルにオイルステイン、カッティングシート/333×242/2018>
(右)<FANATIC | ミラーボール/サイズ可変/2018>


<something about a room not having a floor | インスタレーション/ミラー/サイズ可変/2018>


<drift into | HDビデオ、サウンド/2分/2014>

K:文字の作品については私も共感する部分もあります。
文字や言葉って音としてはありますけれど、人間が意味づけをして初めて、情報として認識できる。
しかしその裏側には何もないというか。音としてみたらただの音のつながりであり、どんな言語もフラットなんですよね。
つまり空気のように見えなくて実態がないものであるというか。
清水さんの作品にあるどこか曖昧なものというか空気というか、不確かなものに対する興味関心、好奇心には共感するものがあります。

清水:そうですね。そういう宙刷りというか、どちらでもない、どちらにも属さないという状態にはとても興味ありますね。
黒でも白でもない、かといってグレーでもないような。あと…実は、子供のころから自分は“マッチョ”みたいなものが苦手だったんです。

K:え!?マッチョ?? どうゆうことですか?笑

清水:なんていうか、強さを誇示する態度が苦手というんでしょうか。
男だったら強くあれとか、「即決」「即断」みたいな。強い父親像とか。そうゆう視点から見ると僕は「優柔不断」とかよく言われるんですけど。
でも、何かを決断するということは格好よく聞こえるのかもしれませんが、同時に何かを「捨てる」、可能性を捨てる、あるいは「固定する」ということだと言えます。
強いから決める(捨てる・固定する)のではなく、弱いから決める(捨てる・固定する)んじゃないかなと
逆に決め(捨て・固定し)ないということは、弱いのではなくあらゆる可能性を受け入れるという点で強いとも言えるんじゃないか。
強さは弱さだし、弱さは強さでもある。そんなことを小さい頃から考えていました。

幼少期から建設現場を見るのが好きだったのも、固定せずに「仮設的」な状態、つまり可能性を可能性のまま保持した状態に憧れていたのかなと思います。
別の言い方をすれば無意識に反マッチョへの憧れだったのかもしれません(笑)

K:ちなみに、自分自身にある弱さというのを自覚していますか?あるいは弱さがあるということを認識していますか?

清水:そうですね、先ほどお話ししたような「決められない」「捨てられない」「固定できない」弱さというのを自覚しています。でもそれは否定的な意味というよりは肯定的な意味での弱さ、つまり強さになりえる弱さだと考えています。柔よく剛を制すというか。

K:ありがとうございました。

お話を伺っていて感じたのは、清水さんの人当りのよい雰囲気と穏やかな口調、丁寧に言葉を選ぶ様子が人を惹きつけるのだということ。
個展に来場していたのは、地元の経営者を中心にした現地にゆかりのある方たち。
年齢も様々であるが皆さん個展をとても笑顔で、語らいながら楽しんでいらっしゃる。
ここには作家の持つ考えを、アートを介して愉しむという文化が醸成されていると感じた。

芸術とは何だろうか-。
それは突き詰めるとコミュニケーションではないだろうか。

見えないものを形にすることや、見えているものごとに疑問符をつけること。
今起きているのすべての事象に対し問いを投げかけること-。
有形、無形に関わらず、既に知っていると思われたものを再解釈、再構築し
それを軽やかに提示するのがアーティスト。

それを受け取る好奇心に満ち溢れた人。
それぞれの解釈によって何かを知覚し、理解する。
その瞬間揺らぎが生じ、時として言い表しようのないほのかな幸福感が直後に訪れる。

清水玲の個展を見に来た人はみんな笑顔だった。
興味深々に作品を眺め、その解を求めようとする。
そこには確かにコミュニケーションがある。

作家活動10年目を迎えた清水氏の「未完成な」アート・インスタレーション。
完成することや完璧であることからあえて焦点をずらしながら作品をつくり続ける清水氏の活動は、まさにアートが本来持つべき本質でもある。

Ryo Shimizu | 清水 玲
something about a room not having a floor

会期:2018年5月1日(火)~28(月)
開場:金・土・日・月(定休日:火・水・木)
時間:11:00~17:00
会場:ヒロ画廊伊豆大川(〒413-0301 静岡県賀茂郡東伊豆街大川 185-1)

清水 玲  Ryo Shimizu 

1977 年香川県出身、神奈川県在住。
空間とその背景との関係性に着目し、主に文字を用いた作品を制作している。
2011 年以降、国内外でのフィールドワークやインタビューをもとに、建築、映像、収集物、リサーチ資料、音声や文字を用いたインスタレーションに取り組んでいる。
主な展示・活動に第 2 回モスクワ国際ビエンナーレ for Young Art(2010)、十和田市現代美術館 (2011)、アラフドアートアニュアル (2013・2014)、台北 寶藏巖
國際藝術村 (2015)、シャルジャ カリグラフィービエンナーレ (2016)、するがのくに芸術祭 富士の山ビエンナーレ (2014・2016) など。

2014 第 18 回 CS デザイン賞 準グランプリ
2010 トーキョーワンダーウォール 2010 平面部門入選
SICF11 スパイラル奨励賞
第 13 回 文化庁メディア芸術祭 アート部門(静止画)審査委員会推薦作品

2009 J-LAF 主催 日本・ベルギーレターアーツ展入選

Ryo Shimizu

Born in 1977, Kagawa, Japan
Lives and works in Kanagawa

He focuses on the relationship between the space and its background, mainly using characters. Since 2011, he is working on installation using architecture, video, text,
voice, based on fieldwork in Japan and abroad

AWARD
2014 the second prize of the 18th CS DESIGN AWARD
2010 Selected for Tokyo Wonderwall 2010
Incentive Award of the SPIRAL, SICF11
Jury Recommend Still Image Work in Art Division, 13th Japan Media Arts Festival
Selected for Japan Typography Association
2009 Selected for The Japan-Belgium Letter Arts Exhibition

Ryo Shimizu Webサイト
>>http://ryoshimizu.jp/

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